中学校卒業式終わりの校庭で、、エリス少年がいた?
昔々、1981年3月、中学校卒業式が終わったその日、級友との別れを惜しんで、学生服のまま校庭でサッカーをしていましたが、途中、級友のひとりが、ドリブルしていたサッカーボールを拾い上げ、手に持って走り出し。。。
そう、あの"エリス少年"もどきが級友にいたのです。
「今からラグビーな!」の声に、私も必死に仲間、ボールを追いかけ、私がボールキャリーすると、身体が大きかったこともあり、皆から「おまえ、ラグビーめっちゃ似合うやん」と言われたこと、
これが、興味深くなった、ある種 #ラグビーとの出逢い のような気がします。
高校ラグビー部活は毎日練習前が憂鬱でしたが、80年代、早慶戦、早明戦、王者新日鐵釜石に挑む同志社大学、スクール・ウォーズで世間が盛り上がっていたこともあり、厳しい練習も耐え忍ぶことができました。(当時大阪では各高校にラグビー単独チームがあり100を超える参加校で予選を戦っていました。)
そして今、W杯やテストマッチで強くて、速いジャパンラグビーの魅力で盛り上がり、再注目されていて、ラグビーと出逢えたことの幸せを噛みしめて日々過ごしています。
#ラグビーとの出逢い
そう、あの"エリス少年"もどきが級友にいたのです。
「今からラグビーな!」の声に、私も必死に仲間、ボールを追いかけ、私がボールキャリーすると、身体が大きかったこともあり、皆から「おまえ、ラグビーめっちゃ似合うやん」と言われたこと、
これが、興味深くなった、ある種 #ラグビーとの出逢い のような気がします。
高校ラグビー部活は毎日練習前が憂鬱でしたが、80年代、早慶戦、早明戦、王者新日鐵釜石に挑む同志社大学、スクール・ウォーズで世間が盛り上がっていたこともあり、厳しい練習も耐え忍ぶことができました。(当時大阪では各高校にラグビー単独チームがあり100を超える参加校で予選を戦っていました。)
そして今、W杯やテストマッチで強くて、速いジャパンラグビーの魅力で盛り上がり、再注目されていて、ラグビーと出逢えたことの幸せを噛みしめて日々過ごしています。
#ラグビーとの出逢い